沼津御用邸の沿革沼津御用邸の設置御用邸は皇室が主として保養のために用いる別邸で、いわばリゾート施設です。当時、このあたり一帯は楊原村と呼ばれる小さな漁村でしたが、気候が温暖なうえ、前面には駿河湾、背後には富士山という風光明美な地であることから別荘地として注目されはじめて、すでに大山巌(陸軍大臣)、川村純義(海軍大臣)、大木喬任(文部大臣)、西郷従道(陸、海軍大臣)の別荘が建てられていました。彼らはいずれも明治政府の高官です。川村純義伯爵が後に皇孫殿下(昭和天皇と秩父宮殿下)の養育係になっていることを考えると、この4人の存在が御用邸設置に大きく影響したものと思われます。加えて明治22(1889)年に東海道線が開通して、東京からの交通の便がよくなったことも理由の一つにあげられます。
本邸の造営
東附属邸の造営
西附属邸の造営
御用邸での日々また昭憲皇太后(明治天皇妃)は皇后当時から度々ご滞在になっていますが、貞明皇后(大正天皇妃)も昭和になってからしばしばご利用になり、昭和8年から延べ900日以上滞在されています。 昭和天皇はご誕生の翌年からすでに川村邸で夏冬の多くを過ごされていましたが、その後、皇太子時代も長期滞在が多く、歴代陛下の中ではもっともご利用日数が多くなっています。ご幼少の頃から沼津の海や自然に親しまれる機会が多く、また周辺の同年輩の子供達と相撲をしたり、散歩の途中で地元の小学生に気軽に話しかけられるなど、地域住民との交流を楽しまれました。 今上天皇は、戦前の昭和16年夏の49日を始め、昭和17年37日、昭和18年には夏を含む三たび延77日、昭和19年春から夏にかけ55日と毎年ご滞在になり、この4年間で約220日ご滞在になられました。 戦後は終戦間もない昭和21年に再びご滞在になり、昭和21年夏44日、昭和22年夏31日、昭和23年46日、昭和24年34日と毎年1ヵ月以上、昭和25年、昭和26年も各10日程度ご滞在となりました。また昭和37年8月には約1週間妃殿下、浩宮徳仁親王ご同伴でご滞在されました。戦前・戦後共に毎年のようにこの沼津御用邸にご滞在され、その延日数は約400日にも及んでおります。 義宮殿下(現常陸宮)も昭和17年の夏を始めとし、延べ400日以上、9回ご滞在され、その多くが今上天皇と同時期の滞在でした。 この間狩野川の煙火大会に行かれるなど市内各地へのお出かけや隣接する学習院游泳場へのご滞在の機会も数多くありました。 昭和45年3月には、昭和天皇・皇后両陛下が沼津御用邸とのお別れのため訪れました。 このように皇室の方々に愛された沼津御用邸の存在が地域に与えた影響は大きく、消防防災活動の強化や保健衛生、教育文化面の充実、知名度の向上、地域経済の活発化など、多岐にわたったものと考えられます。
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