| ●沼津の歴史コーナー(3階) | ||||||||||||
| 原始・古代の沼津 今から約3万年前の旧石器時代、愛鷹山に人が住み始めました。縄文・弥生・古墳時代を経て、奈良時代には駿河国駿河郡の中心地となりました。 中世の沼津 沼津付近には、大岡荘・金持荘などの荘園ができ、荘官出身の土豪牧氏は鎌倉幕府に仕えました。戦国時代には北条早雲が興国寺城主となり伊豆へ侵攻し、その後は北条氏・今川氏・武田氏などが勢力争いを繰り広げました。
近世の沼津 江戸時代、沼津宿・原宿は東海道の宿場町として栄えました。周辺の農村では盛んに新田開発が行われ、一本松・助兵衛・善太夫などの新田集落が生まれました。内浦・静浦地域では漁業が発達し、魚は江戸などへも運ばれました。 安永6年(1777)水野氏が沼津城を築き沼津藩が成立、明治維新まで五万石の大名として続きました。なお現在の沼津市域は、沼津藩領以外に、幕府領、旗本領、大名領(小田原藩・田中藩など)が入り組んでいました。
近現代の沼津 明治時代を迎え沼津も近代的な都市へと発展を始めます。明治26年、沼津御用邸が造営され、その後別荘地・保養地としても知られるようになりました。 大正時代に入ると全国一早い繭の初取引が行われるようになり、大規模な製糸工場も進出しました。大正12年(1923)には沼津市が誕生します。 昭和の戦時下には多くの軍需工場が置かれ、空襲の被害をうけました。そして戦後の復興から現在の発展へと続きます。
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| ●江原素六コーナー(3階) | ||||||||||||
江原素六(1842〜1922)は、明治維新に際し江戸から沼津に移住した旧幕臣で、沼津兵学校の設立に尽くしました。その後、沼津中学校長、麻布中学校長、衆議院議員などとして中央・地方で活躍、キリスト者としても敬愛を受けました。
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| ●沼津兵学校コーナー(4階) | ||||||||||||
明治維新後沼津は静岡藩領になり、同藩の陸軍士官養成学校として沼津兵学校が置かれました。藩主徳川家(旧将軍家)に従って多くの優秀な旧幕臣が沼津に移住し、兵学校の教授に就任しました。明治5年(1871)に廃止されるまで同校では英仏語・数学などの高度な教育が行われ、生徒の中からも日本の近代化に貢献した人材を多く輩出しました。
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