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内膳堀(ないぜんぼり)

2017年10月6日更新

植田内膳については不明な点が多く、一説には原の植田新田を拓いた植田三十郎が後に上香貫の新田(今の吉田町)に居住したとも言われている。これは内膳またはその一族であろうか、近くには三十郎新田の小字名も残っている。

近世に入り新田開発が進むにつれ、灌漑施設についてもしだいに関心が高まってきた。当時香貫一帯では相変わらず香貫山の水を貯水池に溜めて、これを用水とする水利設備しか持たなかった。香貫に住んだ内膳は、水位のあまり高くない狩野川の流水を、今の通称大滝の土手で石をもって三日月形の堰を構築し、その部分の水位を高め、香貫山麓を巡って一条の水路を開削し、苦心惨憺の結果引水に成功した。このため内膳は家産を傾け、生命の危険に瀕したこともしばしばであった。後世この堀を内膳堀、または泣き堀というのは、その間の消息を物語るものであろう。

植田内膳は寛永13年(1636)11月16日にこの地で没した。墓は本郷町の霊山寺にある。昭和3年(1928)11月、内膳の偉業を顕彰するため香貫山の香陵台に頌徳碑が建立されたが、題字は徳富蘇峰の揮毫、碑陰記の撰ならびに書は池谷観海によるものである。また、かつての堀の取入口には取入口碑(中瀬町)が建てられている。

  • 中瀬町の取入口に建てられた内膳堀の石碑

  • 霊山寺にある内膳の墓

  • 香陵台にある頌徳碑

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