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山田源次郎頌徳碑(やまだげんじろうしょうとくひ)

2007年7月1日更新

江戸時代も後半の文化年間(1804~1818)、農作物が不作の上、沼津藩の税の取立が厳しく、農民の困窮は深刻であった。西熊堂村もその例にもれず、窮乏のどん底にあった。そこで、名主の山田源次郎は、村人を代表して再三年貢の減免を藩に嘆願した。しかし、聞き入れられなかったため、村人は藩主水野忠成に強訴しようとした。このとき源次郎は、主謀者と目され投獄されたが、獄中で病気になり帰宅を許された。しかし、間もなく死没した。73歳だった。鳥谷の光厳寺文書によると彼自身が強訴の主謀者となっているが、西熊堂の旧居住地に建てられた頌徳碑には、城下に迫る農民の前に立ち、彼らを戒め、領主に対しては主謀者であると称して、農民の犠牲になったとされている。

厳しい封建制の下で、農民の生きる道を求めて奮闘した義民山田源次郎の墓は、今さびしく西熊堂の永信寺にある。

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