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角田竹冷(つのだ(かくた)ちくれい)句碑

2007年8月20日更新

角田竹冷(本名 真平)は、安政3年(1856年)富士郡加島村(現在の富士市)に生まれ、家が貧しかったので少年時代は魚町の商家の奉公をした。
明治5年(1872年)、16歳の時に東京へ出て働きながら法律を学び、24歳で代言人(弁護士)の免状を取り、さらに35歳で衆議院議員に当選、その後6期17年間にわたって議員として活躍した。

俳句には幼少時から生涯を通じて親しみ、俳人としても名を成し、「毎日新聞」「読売新聞」の俳句選者にもなっている。また、代議士就任中、新聞紙上に軽妙な時事俳句を発表したことは有名である。大正8年(1919年)62歳で永眠した。

句碑は門人たちが大正9年(1920)に建てたもので、沼津で最初の碑である。なお、『時は弥生~』の句は、亡くなる前日の作である。

  • 角田竹冷句碑
  • 角田竹冷句碑 碑文

    (碑の形は竹冷が生前に愛用していた顎杖、座って瞑想するとき顎をのせる板をかたどっている。)

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