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原宿(はらしゅく)

2007年7月1日更新

幕領で、韮山の江川代官の支配下にあった。本陣は西町に1軒、脇本陣は東町に1軒あった。旅籠屋も25軒ほどあったが、その後、天保9年(1838年)に火災の被害にあっている。 また、この場所は慶長年間に起きた高潮の被害により、現在の旧国道1号線(県道富士清水線)付近から移動したといわれている。

宿の範囲は『宿村大概帳』によると、今沢村境より一本松新田まで(大塚神明神社東から富士浅間神社西まで)、宿往還の長さは24町42間とある。 天保14年(1843年)の宿内人口は1939人(合計合わず)、内、男子957人、女子984人で、家数398軒ほどであったという。

原宿の範囲

東海道の松並木

『宿村大概帳』に「この宿より吉原宿までの間往還通並木」とある。原宿から植田新田までの往還左には延べ369間、同右に1603間松並木が存在するということになる。 宿場の両脇には建物が並んでおり、現在の六軒町から先の西方は松並木が両側にあったが、松が枯れてしまったので今はその分だけ道幅が広くなっている。

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