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帯笑園

2019年10月10日更新

  • 帯笑園の位置
  • 現在整備中の帯笑園

    帯笑園(園内全体)

帯笑園は、原の素封家植松家が江戸時代後期から昭和初期まで代々伝えた庭園である。平成24年9月、国登録記念物(名勝地関係)となった。

台風第19号の接近に伴い、令和元年10月12日(土曜日)は閉園となります。
開園日:平成31年4月14日 日曜日から
開園時間:当面の間、土曜日、日曜日、祝日の9時~16時とさせていただきます。
※団体利用の場合は、相談に応じて開園する場合があります。

帯笑園という名前は、寛政3年(1791年)海保青陵(儒学者 1755年~1817年)によってつけられ、高島秋帆(高島流砲術の創始者 1798年~1866年)筆の木額が残っている。
帯笑園は一般的な庭園とは違い、珍しい植物のコレクションを陳列し、当時には珍しい温室を備えるなどして、その時期に一番良い状態の植物を鑑賞できる植物園のような性格を持つ庭園だった。 代々風流を好む植松家当主は、庭の中心に「望嶽亭」と名付けた茶室を設け、そこから見える富士山と庭の眺めを楽しんだ。

望岳亭

在りし日の望嶽亭(現在は沓脱石のみ残る)【植松家所蔵】

東海道に面した立地条件から、江戸時代には街道を行き交う大名から庶民までが、明治以降も政治家や軍人たちが数多くこの庭を訪れ賞賛している。 中でも文政9年(1826年)に訪れたシーボルト(ドイツ人医師 1796年~1866年)は、『日本参府紀行』に「今迄日本にて見たるもののなかにて最も美しく、また鑑賞植物に最も豊かなるものなり」とその美しさを讃えている。 また植物観賞もさることながら、江戸時代には江戸と上方の文化交流の拠点としての役割を果たしていることが、植松家に保存されている文書、書画などから窺える。

明治期の東海道に面した門

明治期の東海道に面した門(現在は門両側の柱聯(ちゅうれん)が残る)【植松家所蔵】

植物を主体とする文化財のため、当時の様子を示す構成要素はあまり残っていないが、園を訪れた人々の芳名帖、観覧のお礼に送られた書画、植物の管理・配置に関する文書等、数多くの資料が現存している。
当時、地方にある一宿場町に日本中から多くの訪問者があった庭園が存在していたことは驚くべきことである。

帯笑園之図(江戸時代)

帯笑園之図(江戸時代)【植松家所蔵】

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