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若山牧水

2007年12月8日更新

酒と恋と漂泊と。
歌人 若山牧水


明治18年(1885年)、宮崎県東臼杵郡東郷村に生まれる。
文学を志し早稲田大学在学中から作歌、執筆活動に入る。
第三歌集『別離』、歌集『山桜の花』などを発表。
大正9年(1920年)、沼津の風土、とりわけ千本松原の景観に魅せられ、一家をあげて沼津へ移住。昭和3年(1928年)、43歳の若さで亡くなるまでの間、沼津の自然を愛し雑誌『詩歌時代』など精力的に出版活動を展開するかたわら、千本松原の 伐採反対運動の先頭に立つ。
喜志子夫人と共に千本山乗運寺に永眠。

若山牧水の写真
全国に多数ある牧水の歌碑で最初に建てられた歌碑。千本浜公園に建つ。碑文は以下

千本浜公園歌碑

「幾山河 こえさりゆかば 寂しさの
はてなむ国ぞ けふも旅ゆく 」


牧水歌碑第1号として、昭和4年秋、建立。この歌は明治40年、牧水が早稲田大学英文科学生の時に岡山県二本松峠を越えながら詠んだ。毎年10月、(社)沼津牧水会の主催で開かれる碑前祭の際には酒を注いで牧水を偲んでいる。

「香貫山 いただきに来て 吾子とあそび
久しく居れば 富士晴れにけり」


牧水は沼津で最初に住んだ家から長男・旅人氏をつれて、香貫山に登り駿河湾を臨んだ。
その際、愛鷹山を前山として、その後ろに秀麗な富士がよく見えた。
なお、次の2首も牧水が香貫山で詠んだ富士の歌である。


「海見ると登る香貫の低山の小松が原ゆ富士のよく見ゆ」
「低山の香貫に登り真上なるそびゆる富士を見つつ時経ね」

香貫山の香陵台に立つ歌碑。碑には「香貫山 いただきに来て 吾子とあそび 久しく居れば 富士晴れにけり」と刻まれている。

香貫山歌碑


沼津市若山牧水記念館は昭和62年設立。歌人若山牧水の生誕から永眠までの足跡とその全仕事を顕彰し、編年体で展示。「詩歌時代」・「牧水と酒」・「牧水と旅」などのテーマごとの詳細な資料を収集。 又、雄大な富士が一望できるラウンジ、炉を切った十畳間は美しい庭園に面しており、集会・会議には最適です。牧水の人生に触れながら、ゆったりと海を眺め、彼の愛した沼津の自然を感じてみてください。

開館時間
9時~16時30分(会議室は9時~21時)
休館日
毎週月曜日(祝日に当たるときは、その翌日)
年末年始(12月29日~1月3日)
観覧料
大人200円、小人100円
(20名以上の団体は2割引)
沼津市若山牧水記念館までの地図。地図に続いて詳細
  • 沼津駅から箱根登山バス(2番線)「千本経由」又は「港湾経由」牧水記念館前下車。
  • 東名沼津インターから車で約20分。
若山牧水記念館の外観と館内の様子
若山牧水(1885年~1928年)略年譜
出来事
明治18年 宮崎県東臼杵郡東郷村で生まれる。
明治32年 延岡中学入学。
明治36年 『中学世界』11号に「牧水」の名で投稿。
母マキの名から「牧」を、故郷の坪谷川の渓流や尾鈴山に降る雨から「水」をとった。
明治37年 早稲田大学入学。
明治40年 岡山から高梁川に沿って新見へ。この時詠まれた句に「幾山河こえさりゆかば寂しさのはてなむ国ぞけふも旅ゆく」がある。
明治41年 第一歌集『海の声』出版。
明治43年 第二歌集『独り歌へる』、第三歌集『別離』出版。甲州・信州へ放浪の旅にでる。
明治45年 喜志子と結婚。新宿の酒屋の二階で新婚生活がスタート。第五歌集『死か芸術か』出版。
大正2年 長男旅人誕生。第六歌集『みなかみ』出版。
大正4年 長女みさき誕生。
大正9年 8月沼津の在柳原村上香貫の借家に移り住む。
大正12年 「創作社全国社友大会」を開催。第十四歌集『山桜の歌』出版。
大正13年 千本浜の借家に転居。「牧水先生半折展覧会」の名で半折色紙短冊展覧会を開催。
大正14年 沼津市本字南61番地、62番地(現、沼津市本字西松下858番地)に転居。
大正15年 詩歌の総合雑誌『詩歌時代』創刊。多方面から絶賛を受ける。
千本松原の伐採計画の反対運動に活躍。伐採計画は中止に。
昭和2年 喜志子と共に朝鮮へ旅行。脚気を病み、途中で帰国。この頃から引きこもりがちになる。
昭和3年 急性胃腸炎兼肝硬変で永眠。享年43歳。

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