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沼津城廃止・沼津兵学校設立

2018年4月1日更新

以前から計画のあった兵学校が、徳川氏の府中移封によって、明治元年(1868年)12月、沼津に開校された。この開校に努力したのは阿部邦之助(潜)と江原素六の両人であった。

校舎は旧沼津城の二の丸御殿を使い、西周を頭取(校長)とし、40数人の教授が全国から、当時のもっとも優れた人材の中から選ばれた。学校の制度は、資業生(4年)・本業生(3年)があり、卒業の後、陸軍士官の免許状を得て、将来陸軍将校になるものであった。生徒は徳川の藩士の子弟の中から、試験で選ばれて入学したが、他藩の子弟を入学させる員外生の制度もあった。修業年限は、一応定められてはいたが、実際は試験によって上級へ進むことができる実力主義を取り入れ、きびしい教育をした反面、西洋式の自由平等の精神を尊重する教育もおこなわれた。このように、優れた学校であったので、1年後には生徒が200人以上にもなり、員外生もかなり入学するという盛況であった。学科は外国語(英語・フランス語)・漢学・数学・器械学・図画・乗馬・鉄砲撃ち方・操練(実地演習)などで、洋式を取り入れ、教科書の程度が高かった。集められた書籍も旧幕時代の洋書などが多かった。現在、その一部が沼津市立駿河図書館に保存されている。藩内はもとより、他藩にまで名声の高かった沼津兵学校も、明治政府によって陸海軍の学校をつくる計画が進められたので、しだいに優秀な教授がひき抜かれ、明治5年(1872年)5月、ついに東京に移転することになった。このように沼津兵学校は、わずか3年余りの短い期間で姿を消していったが、後の陸軍士官学校の制度のもとをなした。

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