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珠流河国から駿河国へ

2018年4月1日更新

5世紀から6世紀のころ、今の富士川から東、黄瀬川あたりの一帯は珠流河国と呼ばれていた。そこには、長塚古墳や神明塚古墳、さらにそれより以前に作られたとされる富士市の東坂古墳、浅間古墳とよばれる、大きさが50メートルをこえるような古墳がみられる。これらの古墳に埋葬された者は、珠流河国を治めた王と考えられ、副葬品などから、かなりの勢力と財力をもっていたことがわかる。
やがて、珠流河国と盧原国は一つになり、駿河国となる。珠流河国がいつ「駿河国」と呼ばれるようになったかは分からないが、7世紀の後半には、「駿河」という国名で統一されている。

その後、天武9年(681年)、伊豆国が分離し、駿河国は東から駿河・富士・盧原・安倍・有度・益頭・志太の7郡になった。平安時代にできた「倭名類聚抄」(和名抄)によると、駿河郡のなかに、駿河・玉造・永倉・山崎・柏原・宇良・宍人をはじめ、11の郷があった。これらの郷は、現在の地名との比較から、おおよそどの地域に相当するかは、わかりつつある。

古墳群と古代の国の位置を示した地図
古墳群と古代の国

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