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駿東郡沼津町

2018年4月1日更新

明治2年(1869年)に版籍奉還が実施された。沼津の属する府中藩(後に静岡藩)でも、藩主徳川家達が、新政府の方針に従って、形の上で土地・人民を朝廷に返した。しかし、家達がそのまま藩知事に任命されたので、実質的な封建制度の廃止とはならなかった。 そのため政府は、明治4年(1871年),廃藩置県をおこなった。徳川家達は、東京へ帰京を命じられ、駿河国は静岡県となり、新しい「県」の指導者には、中央から「県令」が任命された。こうして、封建制度はくずされ、中央集権国家がしだいにできあがっていった。 その後、明治9年(1876年)に、足柄県・浜松県を合併して現在の静岡県となった。県内は、大区・小区に分けられ、沼津付近は、表のように第一大区となった。

静岡県行政区分(1872年)
名称 区域 区役所所在地
第一大区 駿東郡 沼津宿
第二大区 富士郡 吉原宿
第三大区 庵原郡 興津宿
第四大区 有度郡 静岡札ノ辻
第五大区 安倍郡 静岡安西
第六大区 志太郡  
第七大区 溢津郡 田中追手町
沼津町の位置を示した地図
明治20年頃の沼津の地図です。詳細は以下

沼津の地図(明治20年ごろ)

市街地の中心には、まだ沼津城跡がはっきりと残っている。

明治時代の御成橋の前身港橋です。詳細は以下

御成橋の前身港橋(明治時代)

港橋は、明治9年沼津市内の狩野川に最初に架けられた木橋だった。

明治12年(1879年)、大小区制を廃止し、郡町村制に改められ、駿東郡役所が沼津町におかれた。翌年、町村会が設けられた。
明治22年(1889年)に市町村制が施行されて「駿東郡沼津町」となった(人口11,000余人、1,800余世帯)。 その年東海道線の開通にともなう沼津駅の開設や、その前年の沼津駅建設の資材運搬用に設置された沼津港線(蛇松線)の活用などにより、沼津は急速に経済が発展し、近代化へと進んでいった。 また、明治26年(1893年)、御用邸が造営され、快適な保養地として沼津の名は全国に広まった。

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